チリン、チリン
鈴の音が響く。
馬鹿
職員室という名の魔界を潜り抜け、手のひらにちょこんとのっている我らが教室の鍵。
一緒についている可愛らしい鈴をわざと鳴らす。
朝の静かな校舎にとても響いた。
何が楽しくて朝一番で学校にきてるのだろう。
そう思い私ははあ、と溜息をついた。
何って私がうっかり英語のプリントを持ち帰り忘れたのがいけなかった。
提出日は今日、評価を落としたくは無い。
だから私はいつもより朝早くおきて学校へ行き、そのプリントをやろうとしたのだ。
お陰で朝の通勤・通学ラッシュを避けることは出来たが眠いし、なによりまだ誰も来ていないので
自分で戸締りしてある教室の鍵を取りにいかなきゃならなくなった。
私はどうも職員室が苦手なのだ。あの雰囲気が嫌い。
でも教室の鍵はそこにおいてあるので、私は身体をカチンコチンにして鍵を取った。
まあ、鍵は今手元にあるし。
あとはプリントに精を出すだけだ。
階段を上り終えて思いっきり息を吸い込む。
疲れたとは思いつつ、私はそのまま教室に向かい歩き始めた。
あ。
廊下の向こうに誰かいる。
誰だろう、身体が大きいから男の人かな。
よくよく見てみると彼は私の教室の前にいる。
同じクラスの人、私が鍵あけるのを待ってるんだ。そう思って私は小走りで教室へと急いだ。
ドキっと胸がしたのはそれから4秒後のことである。
教室…つまり彼に近づくにつれ、その人の顔がだんだんと見えるようになった。
あの鋭い目、鼻…。ちょっと中学生向きじゃないあの顔は間違いない
真田だ。
私は思わず背を向け逃げ出しそうになった。
彼と顔を合わしたくない、そう思ったのである。
私は決して後悔はしてない。たとえそれがマイナスの結果でも。
つまり私は彼に前、告白した。
大好きだった、どこに惹かれたのかは分からないけど。
でもこのまま宙ぶらりんはつらい!いかん!そう思って私はとうとう想いを彼に告げた。
答えはもちろんNOだったけれど。
とはいっても彼が今テニスしか頭に無いのは十分承知していたし、この結果も十分予測してたので
私はそれほど絶望の淵に立たされたわけでもなく
すぐに立ち直り現在にいたるのだが。
しかし真田と何事も無かったかのように顔をあわせるだなんて勇気は私に無い。
穴が入ったら入りたいと心から願った。どうかお願いです神様。
そうは思っても穴がいきなりそこに現れるわけもなく、この場から逃げられるわけもなく。
私は一歩一歩彼との距離を縮めていった。
チリン、チリン
鈴の音が響く。
なんて気まずいんだろう
真田がこっちみてる。どうしよう。
私は頭が真っ白になり、ただ早くこの気まずい状況を乗り越えたいと教室の扉の前に立った。
手が震えているのは気のせいだろうか、鍵穴に鍵をいれくるっとまわす。
扉が開いた。
真田がこっちにくる。
「どうぞ、お先」
やっとの思いで搾り出した声。精一杯である。
真田はそれにコクンと頷く。まだ心臓はドキドキしていた。
そのときだった。
真田が下を見た。私も釣られて彼の視線を追う。
私のカバンだ。
さっき、一回教室に来て鍵が開いていないことに気づいた私が、職員室に持ってくのは面倒だからと置いていったもの。
なんで?私は固まった。
「これは、の鞄か?」
「え、…うん」
いきなり声をかけてきたものだから私はビックリし、急いで答えた。
声が裏返っているとか気にしてる余裕も無い。
と、彼がかがむ。
私のカバンに手を伸ばす、そしてそれを持った。
驚いて声も出なかった。
真田は何てことをしてくれるんだ。
彼の表情をみるとなに一つ変わりはなかった。
でも彼の言いたいことが何となくわかる、「俺がはこんでやる」と。
私は慌てて真田…いや私のカバンに手を伸ばした。
運ばせるなんてそんなとんでもない。恥ずかしくて蒸発しちゃいそうだ。
「どうも」
一応感謝の意は示したものの、ほぼ奪った感じで真田からカバンを取り返す。
その拍子に私の手から落ちた鍵。
チャリン、無情に響く。
すると真田は私の顔を一瞬だけみて、鍵を拾い教室へと消えていった。
馬鹿だ、真田は大馬鹿者だ。
なんで私にそんな優しくするんだろう。
いっそのこと冷たく突き放してくれた方がよほど嬉しいのに。
そんなんじゃ私うぬぼれちゃう。
例えそれがただのあなたの優しさだと知っていても。
カバンをギュッと抱きかかえる。
ああ、彼がこのカバンにふれたんだ。
そう思うとなぜか心が満たされる。
そうか、私は気づいてしまった。
まだ私は真田のことが好きだ。
そして文句を言った反面、どこか喜んでいる私のほうがきっと大馬鹿者なんだ、と。
2008.10.20