「方向的にはこの壁の向こうにあの扉があるはずだが」

「向こう側にはいけませんね、扉がありません」

「それじゃあ、もっと屋敷の奥まで行かなきゃ駄目なのね…」











真田たちと別れた後、柳を先頭に三人は屋敷の奥へと足を進めた。
屋敷はかなりの大きさで、記憶と方向感覚を頼りに探索をしていくが、中々目的の扉までたどり着けない。
それでも、随分の大回りをした後、やっと目的の扉に近づいたが、壁の隔てのせいでやはりたどり着くことはできなかった。


柳は壁に手を当てて壊せはしないものかと考えるが、そもそもこの屋敷に不法侵入までしているのに
建物を壊すわけにはいかないし、仮に壁を壊して、この古い屋敷が倒壊でもしたら元も子もない。



「そうだな、奥へ行くしかないそうだ」



やっと真田たちと合流できると思ったのに、とぬか喜びした彼らは、落胆の顔を浮かべるしかなかった。
月明かりと懐中電灯でしか照らされないこの屋敷は酷く不気味だ。
柳は、早々と体の向きを変え、廊下の奥へ進もうとする。柳生はさきにを生かせ、柳のすぐ後ろに付かせた。
柳と、柳生のあいだに。彼女が一番安全であるようにという柳生の気遣いだった。


柳は早く真田たちを助け出してこの屋敷から脱出することだけを頭において行動している。
当然、歩くのも早くなるのだが、はさきほどの恐怖から足がすくみかけていて、どうしても歩調がゆっくりとしてしまう。
ふと気づいたときには、柳との間には随分距離は空いてしまった。
少し先にいる柳が角を曲がり姿が見えなくなった事には心細くなり、小走りになって、角をまがる。


「ま、待って!…キャッ」


が、は何かにぶつかってしまった。布越しに伝わる、やわらかさ、温かさ。
それは人の背中、柳の背中だった。
は急に立ち止まった柳を不審に思い、何に臆すこともせずに、彼の横から顔をのぞかせた。


とたんに心臓が大きく脈打った。


青白く発光する、半透明の身体を持った男性がむこうに居た。
知っている、彼らはあの男性の正体を知っている。幽霊だ。
その男性の霊が、右手を振り上げたことによって、彼らはその右手に目がいった。
懐中電灯の光でその何かが反射している。
それが刃物、剃刀であることに気づいたのは、その男性が随分と彼らに近づいた瞬間だった。


三人は恐怖のために動かなくなった体に鞭打ち、一気に後ろへと駆けた。




「…う…うぅ……」




背後から、幽霊の呻き声と、荒い息遣いが聞こえ、余計恐怖があおられる。
は、足に力をいれて、さらに早くあの霊から距離をとろうとする。

が、それはできなかった。何かに腕を掴まれる。

一気に背筋が凍り、彼女は慌てて腕を振りはらおうとするができなかった。


「いや、はなしてえ!」

、待て」


次の衝撃にそなえ、堅く目を閉じていただったが、予想外れのまさかの優しいローボイスには振り返った。
彼女の腕を掴んでいたのは、柳だった。


「な、なにっ。早く、逃げないとっ!」

、そのカメラを貸してくれ」


彼女の訴えも聞かずに、にカメラを求める。慌てて彼女は彼にカメラを渡した。


「逃げても、逃げ切れないかもしれない。相手は霊だ、壁も抜けられる。
 仮にさっきみたいに何とか逃げ切れたとしても、またいつ現われるかもしれん。
 それなら、このカメラで、今…」


柳はそう言いながら、カメラを構える。
あの霊がサークルの中に入ったことを確認し、すぐさまシャッターを切った。
すると、霊は小さく退き、苦しそうな声をだした。


「やったあ!」

「いや、まだです」


確かに、その霊はすぐに体勢を持ち直し、再び彼らへと歩み寄った。
三人の腕に再び力を込めた。


が、途端に霊が、彼らの目の前から消えてしまった。
慌てて、彼らは辺りを見渡す、右、左、前、後ろ、奴はどこにもいない。


「消えてしまいました…ね」


柳生は、少し前に歩みより、眼鏡をくいっと持ち上げる、もちろん何も姿は見当たらなかった。
それから数秒、三人は身構えたまま、辺りに警戒を張り続ける。
しかし一向に気配も感じられないし、姿も出さない。
逃げたのか、三人はすこし、気をゆるめようとした。その時。



とたんに、背後から溢れ出る殺意に似た気配。



咄嗟に、柳と柳生は振り返り、気配の根源を確かめる。そう、さっきの霊である。
しかし、は殺気の気配を一番近くで浴びてしまい、すっかりと恐怖に身を支配され金縛りにあってしまったようだった。
男の霊が、大きく右手をあげる、剃刀が、彼女に向かおうとしていた。


さんっ!!」


柳生は自由な両手でいっきに彼女をこちらに引き寄せた。


スパッ


剃刀が空気をさく音が小さく響いたが、なんとか彼女の身体を傷つけることは阻止できた。
変わりに、彼女のふわっと浮き上がった髪の毛に剃刀が当たり、数本の髪の毛が宙を舞う。



柳と柳生は、を自分らの背後に隠し、ゆっくりと後ずさりをする。
目の前の霊は、ゆっくりと宙を舞う髪の毛に手を伸ばし、器用に掴んでしまった。
するとなぜが、三人に背を向け、壁の向こうへと消えていく。


「警戒を怠るな、気をつけるんだ」


柳に促されて二人も同様に、また襲い掛かってくるかもしれないと辺りを見渡し警戒を続けたが、その霊が
もう一度彼らの目の前に現われることはなかった。

は、はあ、と安堵の溜息をつき、彼らの服の裾を掴んでいた手を離した。




「どこにも怪我はないな?」

「うん、なんとか大丈夫」

「それは良かったです、しかし危なかった…」



柳生も彼女に釣られて、溜息をついた。そんな彼にはありがとうと優しく言い放ち、頭を下げた。
柳生はいえ、と返事をした後、もう一度口をひらく。



「あの男性、私たちを傷つけることが目的だったんでしょうか」

「ああ、そこに引っかかるな。なぜの髪だけを持って満足したのか…」

「私の髪の毛…?な、なんで」



は自分の髪の毛に手を当てて、指を通してみる。特になにかあるわけでもない。ただリンスの
甘い匂いが漂うだけの髪の毛。



「ひとまず諦めただけとかじゃないの」

「いえ、それだったら髪の毛を持っていく意味がありません」



そうよねえ…、と口に手を当てて考えてみるに柳は「とりあえず、先に進もう」と促した。
正直、やはり気の進まない。ましてさっきから標的にされ続けているのでなお更だが、
このままじゃしょうがないと自分を勇気付け、足を進めた。







*****







「!」

「どうしたの、柳?」



あの襲われた廊下から抜け出ししばらく足を進めていると、柳が何か反応をしめす。


「フィラメントが…」


そう呟いた柳につられて、と柳生もカメラのフィラメントを見てみる。
するとフィラメントは青く発光していた。



「光ってる…」

「っ!柳君少し、左右に動かしてくれませんか」



柳生がそう言うので、柳は言うとおりに、カメラを当てもなく右へ左へと故意的に動かしてみる。
すると、右や左にカメラを動かした時はフィラメントの光が弱まり、カメラが丁度柳の真ん前に来た時はフィラメントが強く光る。


「さっき柳君が私たちにカメラのフィラメントを見せようとした時、光の程度が変わったので
 まさかとは思いましたが…」

「前…何か示しているとしたらこのまま前の方向へ行けというのか」

「でも、いけないよ、壁だもんただの」



三人がいるのはそれほど大きくもない回路だった。
右と左に道は繋がっているものの、このまま前に行けば、ただの壁にぶち当たるしかない。
三人はどうしたものかと考えあぐねていると、柳生が、一点に気づき、あっと声を漏らした。


「あそこに、小さな窓が見えませんか」

「ああ、確かに」

「あそこからのぞけるかもしれないね!」



彼らの真ん前からやや右にずれたところに小さな窓がある。
丁度頭の高さにあわせられた、のぞくには不自由ない窓だった。

はすぐさまその小さな窓へと駆け寄り、大した注意もせずに向こうの様子を覗くが、
とたんに口を塞いで、一歩退いてしまった。


「どうしました、!?」

「し、しずかに!」

「?」

「い、いる。いるよ、幽霊がっ」