2月14日の放課後。
私はただ、机に向かっていた。帰りたくない、けどこのままいることは出来ない。

答えをみつけることも出来そうにない。
先ほどの出来事と、自分の愚かさと、後悔だけが頭の中にあるのだった。


眉間にしわ



さっき、目の前で起きた出来事が、頭の中で消えない。
今にも泣いてしまいそうなのに、それは容赦なく繰り返し、繰り返し再生される。

いとおしそうに彼女を見る彼。
そしてギュッと彼女を抱きしめた彼。
彼女の髪を優しくゆっくり撫でる彼。
その腕の中で彼の胸に寄り添う、彼女の嬉しそうな顔。

思わず、机の中にある綺麗にラッピングされた小さな箱を握りつぶしたくなった。






呼ばれて顔を上げれば、そこには柳がいた。
私が彼と目線を合わせた瞬間、柳は一瞬表情を変え、失礼、と一言言った。
きっと、今の私の心境を察してくれたんだと思う。
私は、あまり人と話す気にはなれなかったが、あの無駄な行動がない柳がわざわざ話しかけに来たんだから
無視することもできず、何?と答えた。

彼は、廊下のほうを一度見て再び私に視線を戻す。


「弦一郎がお前を呼んでいる」

「…」


私は黙っているしかなかった。
柳の言葉に分かりました、と答えることは今の私には出来ない。
かといって、いやだ、行きたくないと彼に言ったところで柳はどうしよも出来ない。

とにかく今、弦一郎とは会いたくなかった。
いつもなら彼に呼ばれているとなれば喜んで彼の元へ駆けていくのに。こんなことは初めてだ。

それは間違いなくさっき目の前で起きたことのせいであって。
でも、このまま彼を無視するわけにもいかないわけで。

ショックのせいでほぼ何も考えられない頭をフルに使って、悩んで、
私は弦一郎のところへ行こうと決断した。


「柳」

「なんだ」

「私、泣きそうな顔、してないよね」


柳は少し困ったような顔をする。
彼はきっと私がどんな思いでいるか知っているだろうから、私が今、弦一郎と面と向かって話せる状態かを聞いた。
それほど親しくない人に、こんなこと聞くのはどうかと思うけど、
今は、目の前にいる柳でよかった。


「少し、落ち込んでいるせいか猫背になっている。姿勢を正すように心がけた方がいい」

こくっと柳の教えに小さく頷く私。

「それと、相手の目を見ないほうがいい、情が抑えきれなくなってしまう。
 かといって、下を向くのも不自然だ、額を見るようにしたら良い」

「…ありがとう」


聞いてもないことまで、細かくアドバイスしてくれた柳に心のそこから感謝した。
こんな気配り上手の柳を好きでいたのなら、きっと幸せだったのかもしれない。
そんなどうしよもないことを考え、私は机の横にかけてあるバッグと机の中の小さな箱を持って、
教室からでた。
後ろから柳の「弦一郎なら昇降口で待っている」という声が聞こえた。




階段を下りて、昇降口へ足を向ける。
弦一郎は、外の方を向き立っていた。

逃げるのなら、今のうちだ。まだ間に合う。
心のどこかで、そんな忠告が聞こえたが、私にはそんな気はなかった。
今、ここで逃げたしたならば、ずっとこの悲しみを引きずっていくことになる。
そんな気がしたのだ。


「弦一郎」

精一杯、冷静を装った自分の声。
大丈夫、いつもの私の声だった。そう自分を励ました。

か…」

彼は振り返る。夕陽のせいで、遠くからは弦一郎がどんな顔をしているのかわからない。
私は足を動かし、彼に近づいた。


「ハハ、弦一郎からお呼び出しなんてめずらしー、どうしたの?」

私はそういいながら彼の表情をみる。
近くなったお陰で、だんだんとあらわになった弦一郎の表情は、イマイチつかめないような表情だった。
何事もハッキリと、中途半端を許さない彼が、中途半端な表情をしているなんて。

わかっている、弦一郎が何で私を呼び出したのか。

それは、彼の今の表情をみて、確信づいたものとなった。


「なんてね、分かってる。これでしょ?」


私は、誤解しているふりをしてバッグの中から小さな箱を出した。
綺麗にラッピングしている箱、それはそう、間違いなくチョコレートだ。

弦一郎がその箱を見た瞬間、彼の眉間にしわがよった。
柳のアドバイスどおり、さっきから彼の額ばかりみていた私は、それをしっかりと見てしまった。




思い出すのは、去年までのバレンタインデー。

私と弦一郎は特に仲が良かった、というわけではない。
しかし、小学生の頃は同じクラスだったのでそれなりにお話しをしたり、休み時間に遊んだりもしたことがある。
その時、私は彼をただのお友達としかみていなかった。

だから、あんなことをし始めたのだ。

バレンタインデーと言う日。
小学生は小学生なりに異性に恋して、この日にはおませな女の子は学校にチョコレートをもってくる。

先生のいないところと女子から男子へとチョコが渡される中、弦一郎に女子から声はかからなかった。
めんどくさいほど真面目な性格とか、本当にお前何歳だという堅苦しさからか、
女子に人気はなかったのだ。
バレンタインデーなんて関係ない!そんな風にいう彼がとても哀れに感じた昔の私。

そして私はその翌年のバレンタインデーから弦一郎にチョコをあげるようになった。
そのときは、チョコに特に思いをこめたわけではない、ただ、弦一郎に同情しただけだった。

はい、と少年の弦一郎の前にチョコををだせば、彼は眉間にしわをよせたことを覚えている。
確か、「学校に菓子をもってくるのはいけないことだ!」とか言っていた。
でも、彼は私をお説教しながらも、チョコを貰ってくれた。とても嬉しかった。

実は優しい彼、その時から私は弦一郎に少しずつ好意を持っていくようになった。


それから毎年毎年バレンタインデーには弦一郎にチョコレートをあげた。
初めは市販のものを上げていたが、二度目からは手作りのものを上げるようになった。

弦一郎といえば、毎回毎回眉間にしわをよせて「学校に菓子などを…」と私を説教するけれど
その後はちゃんともらってくれるのだった。


そんな彼の優しさに、私は少し自惚れていたのかもしれない。

もしかしたら、彼も私が好きなのかな、そんなふうに思うようになった時期があった。
中学生になって、学校にお菓子を持ってきても構わなくなっても、彼は貰うとき、眉間にしわをよせていた。

照れ隠しだろう、と私は思っていた。今思えば、そんな自信過剰な自分が愚かに思える。


彼は、その時から好きな子がいたのかもしれない。
だから、私からチョコを貰うことに抵抗があったのかもしれない。
受け取る時に、顔をしかめる、ということでもうやめてくれと訴えていたのかもしれない。

でも、彼は優しくて真面目な人だから、キチンと貰ってくれたんだ。



ようやくさきほど、私はそれを知った。

昼休み、毎年恒例で彼にチョコをあげるために、わたしは弦一郎を探していた。
数十分ほど探したところで、わたしは彼をみつけた。しかし、彼は女の子と一緒。

顔を真っ赤にした女の子が弦一郎に可愛くラッピングされた袋をさしだす。
彼はその袋を受け取った、彼女を愛おしそうに優しく見つめながら。

私は大きなショックを受けた。弦一郎は私をそんなふうに見たことがなかったから。
弦一郎は彼女のことが好きだったのだ。

目の前で起きたことに動けないほどの衝撃をうけた私をよそに、
その後、彼女は弦一郎の胸に寄り添った。
それに答えるように弦一郎は彼女の背中に腕を回す。仲睦まじい二人がそこにあった。


私はこれ以上みているのに耐えられなくなって、動かない体を無理やり動かしその場から逃げた。



弦一郎にはもう、彼女がいるのだものね。

このチョコは、迷惑なんだよね。

だから弦一郎は私を呼び出して、「もうお前からチョコレートはもらえない」っていうつもり
なんだよ、ね?


知っている、私はちゃんと知っている。
だからここに来たのだ。

でも、弦一郎から拒絶の言葉を聞けるほど、私は強くなかった。
だから…

右手に持った箱を弦一郎の前で早く受け取ってと言うようにぶらぶらとチラつかせ、彼が何かを
しゃべろうとした瞬間、私はバッグの中に箱をしまう。

ハテナマークを浮かべた彼に、精一杯の笑みを見せて


「これね、これから好きな人に渡しにいくんだ。気に入ってくれると、思う?」


精一杯の嘘をついた。
好きな人なんて、目の前にいる弦一郎以外いない、もちろん。
でも、彼から拒絶の言葉を聞くくらいだったら、私は自分で弦一郎からはなれていこう。

これが私の、決心だった。


口を小さくあけて、理解にしばし苦しんだ弦一郎はようやく私の言いたいことを理解したようで
「ああ」と一言言った。
それと共に彼の眉間からしわが消えた。

もう、これで終わってしまうのか。
もう、彼が眉間にしわを寄せて私のチョコを受け取ってはくれないのか。

そう思うと、目頭がとたんに熱くなり涙があふれそうになった。
でも今ここで彼に泣いているところをみせたら、精一杯の強がりが水泡と化してしまう。
そう思って下を向いた。

今すぐ彼の目の前から立ち去りたいが、このまま弦一郎の前から無言で立ち去るのも嫌だった。
引き攣る頬。思うように口が開かなかったけれど、一生懸命開かす。
じゃあね、そう一言言おうとした。しかし言いかけた瞬間…。


「がんばれよ、


彼がそういった。
不意打ちの彼の言葉。嬉しくも、悲しくも感じた。
こんな時に、なんで彼はこんなことをいうのだろう。馬鹿野郎、心の中で弦一郎にそう悪態をついた。
しかし、心の中では強がっていてもついに涙は抑えきれなくなってしまい、涙がほほを伝っていくのがわかる。

わたしは、声が震えないように「うん」と言い残し、すぐに校舎の中から、弦一郎から逃げた。





私は走りながら大人げもなく泣いた。
家までは我慢できなかった、嗚咽も抑えずに走り続ける。

その姿はとても醜いだろうと自覚はしていたが、どうでもいい。


泣きながらも頭に浮かんでは消える弦一郎のこと。
毎年毎年嫌々ながらも私の贈り物を受け取ってくれたあの人。





眉間にしわをよせた彼の顔が最後にのこった。











**END**




後書き
幸せ溢れるバレンタインですがあえてリアリティな悲恋で失礼させていただきます。
なんだか浮いてしまいそうですが、とても楽しかったです。
ありがとうございました。