――なあ、日吉まだ来ねえのかよ――


おかしかった。
あれだけ真面目な日吉が何の連絡もなしに部活に遅れるなんて。




――そういえば…さっき教室に花園と二人でいたような…――


花園…花園優実。
確かと仲が良かったやつ…だよな?



――何かさ、すっげー良い雰囲気で!まさに、青春って感じ!――


そうか。
本当はあいつ、気づいて欲しかったんだろうな。




ずっとずっと。








苦くて苦い、笑顔








まさかの関東大会一回戦敗北のあと、俺たち3年は引退した。


しかし、こんなにも早く引退するなんて思ってもなかった俺たちは物足りなさを感じ、
特に何も用事がない限り部活に顔を出して、二年生の指導をしたり、己を高めたりしていた。


新部長になった日吉は、俺たちが引退したあとも一回も休むことなく毎日毎日練習していた。
責任感は人一倍大きいやつだから。



そんなある日、部活に顔を出していた俺が聞いたのは、日吉の不在疑問だった。
話を聞いてみれば、何でも報告も何も無い無断遅刻だ。


おかしい、おかしい。
あれだけ責任感の強い日吉が無断で遅刻だなんて。


さらに可笑しなことにも着ていない。
もあんな奴だが、責任感が強い。そして何よりも部活を楽しみにしているらしく、ほぼ毎日参加していた。



まさか。
嫌な予感を感じた俺は、近くに居た暇そうなジローに声をかけ、日吉と探しを手伝って貰った。



教室、音楽室……居そうなところには全て回ったが、日吉もも居なかった。
日吉はさっき教室で花園と…と聞いたが、すれ違ったか?

なら、は…。


当てが無くなった俺はまさかとは思ったが、部の小さな倉庫に向かった。

途中でジローと会う。やはり居なかったらしい。
同じく当てが無くなったジローは、もう探す気がなくなったらしく、俺の後を付いてきた。


キィ…とゆっくり扉を開ける。
中のホコリっぽい空気はとても不快に感じ、早くこの部屋から出ようと思った。


と、奥のほうで人の気配を感じた。
誰か居る。


そう感じた俺とジローは顔を見合わせて、奥のほうへと体を進めた。





やっと見つけたぜ?倉庫になんか隠れやがって。




は倉庫の隅っこで三角座りして、顔を埋めていた。
スースーと彼女の呼吸する音が聞こえた。



「おい、なにやってんだ」



俺がそう声をかけると、はバッと勢いよく顔を上げた。
まるで何ですか、と言いたげな彼女のなんでもない表情だ。
しかし、目元に目がいってしまった。うっすらと濡れている睫毛。薄く赤に染まる瞳。


泣いていたんだ彼女は。



「かくれんぼ…?」


何て苦し紛れな言い訳だろうか。
どう反応していいか困った俺は、いつものように彼女をつっつくような言葉を言おうと思った。


「一人でか?」


「…」


そう言い返せば彼女は顔をしかめて黙ってしまった。



「よかったちゃん、ここにいたんだね!探したんだよ」

「え、私を探して…?」



そうだよ、と笑顔でに駆け寄ったジローは、ポンっと彼女の頭に手を乗っけた。



「もちろん、そうだよ。心配したんだからね」



ジローの優しさに溢れた言葉と満面の笑みには目を見開いて俺のほうを見た。
跡部先輩もですか、そう彼女が言おうとしてるんだとわかって、無言で首を縦に振った。



「…その、えっとすいません。勝手にサボったりして…」



目線を下にやり、ハハっと苦笑いを浮かべた彼女。
いつもとはまるで違う。


ぐっと胸が苦しくなった。
だめだ、こんなだめだ。こんな彼女をみるのは俺にとって酷く苦痛だ。
いつもみたいに強気で、うざったいくらい元気で、ケラケラと笑っていて欲しいんだには。



「申し訳ないと思ってるんだったらさっさと部活いくぞ」

「っ」


彼女の肩がピクンと上がった。
そして膝を抱えた腕にさらに力をこめて、眉間にシワをよせる。


いつもみたいなノリで返答してもらいたかった一言が、余計状態が酷くなってしまった。



そうか、やっぱりお前は…



「今日は…部活休ませてください」



俯いたまま、俺たちとわざと目をあわさないように答えた彼女に、俺の疑問は
確信付いたものとなる。


ジローがいつもと違うと何も話さない俺をオドオドと交互に見る。



「それじゃあ、ちゃん大丈夫だよ、今日やす…」


「日吉、花園にコクッたんだってなあ?」


ズイっと彼女に近づき、ナイフのような一言を俺は放った。
は反射的に俺を見る。なんと悲しみに満ちた瞳だろうかと思った。

ジローも驚いたように俺を見て、何か言おうとしたが、空気を読んだのか慌てて口を結んでいた。



沈黙が流れる。
そして、その沈黙を破ったのは、ニカッといきなり笑みを浮かべただった。



「そう!そうなんですよ!もー、ビックリですねえ、日吉も隅に置けないんですから」



目をキラキラと輝かして俺たちに話し始めたは、いきなり立ち上がりスカートをパッパとはたき始める。
「私も彼氏ほしいなあ」なんて呟きながら一通り、ホコリを落として満足した彼女は再び俺たちに笑顔を浮かべた。


その目は、俺が待ち望んでいた、弱々しさなんて感じられない、いつものそれだった。



「ごめんなさい、やっぱり部活でます」


そう一言言うと、彼女は行きましょう、と俺たちを促す言葉をかけ、逃げるように倉庫から出ようとした。



パシッ



そんなの腕を、俺はすぐさま掴む。
振り向いた彼女は顔を歪め、俺を見た。



「…放してください」


「…」


「放してくださいっ」



の抵抗が伝わっても、俺は力を緩めない。
そっとしておいたほうが良いに決まってる。そんなの分かりきっていながらも、彼女に真相をなぜ求めようとするのだろう。



「お前、日吉のことが好きなんだろーが」



声を呑んだ。再び静寂が訪れた。


絶句して何もいえない彼女を目の前に、俺はなんとも言えない自己嫌悪に襲われた。
こんなのをいじめてるだけじゃないか。それなのになんでこんなことをしているんだ、俺は。


と、いきなり力を感じる。が逃亡を試みているのだ。
しかし、所詮彼女もただの女性、俺に力には勝てずに、しばらくすると大人しくなった。



「関東大会の後…」



再び顔を下に向けて、彼女は低い声で話し始めた。



「日吉と優実…花園さんが一緒にいるところを見ました。凄く、良い雰囲気で…」



俺とジローは何も言わずに彼女の一言一言に耳を傾けた。



「そしたら、何日かした後、優実に頼まれたんです、私の恋に協力してって。
 もちろん相手は日吉」



は鼻をズズッと啜った。



「そしたらなんと、その日の夜に、日吉にも協力しろって頼まれちゃったんですよ。
 ホント、奇跡ですよね、同じ日にですよっ」


「で、どうしたんだお前」



俺も彼女に倣って声を潜め、慎重に問う。



「この通り!私協力してあげたんです。
 せっせと仕組んで、私キューピットなんです!」



う、ううと彼女がうめき声を上げる。
それが嗚咽であることに気づくのにそう時間はかからなかった。


いきなり上げられたの顔。
目じりから、目頭から、涙をこぼしている、彼女は泣いていた。




ドキッと鼓動を感じたのはその時だった。
そして久しぶりにみた、彼女の弱い姿に、日吉に対する憎しみが生まれる。
頑なに弱みを見せることを拒んだを泣かせ、今幸せの絶頂にいるであろうアイツに。



「日吉のことが好きなんです、ずっとずっと!
 それなのに、日吉はずっと一緒にいた私を選んでくれなかったのが悔しくて、…辛くてっ」


ちゃん…」


「ごめんなさい、ごめんさい!…こんなこと…」



泣きながら必死に謝る彼女の姿が痛々しくてしょうがない。


女性の恋に破れた涙を見るのは初めてじゃない。
それなのになんで俺はこんなにも辛くて、苦しいのだろうか。



…」



慰めの意味をこめて、の頭に、ポンっと掌を乗っける。
すると彼女は驚いて、瞳を俺に向けた。


目を真っ赤にして、鼻水をたらして。
お世辞でも綺麗とか美しいなんて、そんな言葉の似合わないの顔を見た瞬間俺は




愛しい、と思った。




愕然として、俺は慌てて手を退けた。


俺は今、何を感じた?
愛おしい、誰を?


自問自答が心の中で一通り済まされた後、記憶が浮かび上がった。


ああ、そうだ。
前にに寄せていた、恋と呼べるかも分からないような曖昧な恋心。



俺は何てことを思い出してしまったんだろうと、後悔した。
こんなの良いわけがない、が好きなのは日吉だ。
現在進行形で日吉のことが好きだから泣いているんだ。

それなのに俺が、に想いを寄せるだんて…なんていうことだ。



あまりの出来事に俺は頭が真っ白になってしまった。色々な意味でショックである。
ただ、ただ迷った。




そんな時、俺の横から腕が伸び。





「よしよし」





俺の横にいたジローは、の頭に手をのせ、優しく撫でた。
よくがんばったね、そうジローが言えば、は酷く安心した表情になる。


彼女の頭や背中を撫でたり摩ってやる、慈しみに満ちたジローとまだしゃくり上げてる水無瀬の二人を
俺は何をすることも出来ず、ただ見ているしかなかった。





しばらくして、は泣き止み、俺たちに頭を下げた。
「ありがとうございます」、そして「ご迷惑掛けてすいません」と、苦笑いしながら。
正直、彼女のその気持ちの切替の早さを心配したが彼女は先ほどのことなど無かったかのように
振舞うので俺とジローはただただ、「こんなことしてる場合じゃない!」と焦る彼女についていった。







***








「あー!ひーよーしー!」




テニスコート付近に戻ってくれば、はいつのまにか練習試合を始めていた日吉を見つけて
笑顔であいつの名を叫んだ。


丁度その瞬間、日吉が点をいれ、試合が終わる。
彼女はどこかへ行ったかと思えば、タオルを手に、日吉のもとへと駆け寄っていった。


タオルをもつ手をぐんとあいつに突きつけ、いきなり、ハッと何かを思い出したような顔をする。



「どうだった?…えっと、…優実に告白した?」



彼女が小声でそう問うと、日吉は顔を真っ赤にした。
そして照れ隠しのようにの手からタオルを半ば強引にとれば、コクリと頷いた。


その様子をみて、彼女はパアと顔を明るくする。



本当はどうなったか知っているのに。
本当は悲しいのに。


それでもまるで今初めて聞いたようなリアクションをする彼女は
明らかに自分の首を締めているだけだった。



「OK…だった?」

「…ああ」


ヨッシャー!と喜びのあまり(本当はそう演じてるだけだと思うが)声をあげそうになったの口を
日吉は自分の手で慌てて押さえつけた。

ドタバタと暴れながらも、彼女は楽しそうな、嬉しそうな表情を日吉に向ける。




俺は胸が酷く苦しくなったのに耐え切れなくなって、背を向け当てもなく歩き始めた。
これ以上強がるを見るのが辛かった。
自分を犠牲にしてまで日吉に尽くす、の日吉に対する思いの大きさを知ってしまったのが辛かった。




数歩歩いたところで、おそらく口を開放された彼女の



「おめでとう」



という一言が後ろから聞こえて余計苦しくなった。



















090401