ボリボリとたくあんをかむ音が虚しく彼との間に響いた。
私は、彼の驚く表情を冷静に観察している。













意を決した、たくあん














「…どういうことだ?」


「そのまんまの意味だよ」






ゴクっと口の中のたくあんを飲み込み、私は何食わぬ顔でそういった。




目の前の日吉は信じられないとでも言うように私を見ている。
何故か一瞬体中に優越感が廻った。

















親が離婚したのは私が小学6年生のとき。
私はその時、この世の無常さをはじめて知った。




ちゃん、お母さんからよ」




その一言に私はどれだけ大喜びしたのだろう。
私は満面の笑みでおばさんから受話器を受け取り、お母さん?と放った。



いつもと変わらないお母さんの声。
元気にしてる?学校はどう?
そんないつもの問いかけに私は嬉しそうに「うん、大丈夫だよ!」と答えた。



するとお母さんが黙り込んだ。
私は沈黙に耐え切れなくなりどうしたの?と尋ねる。
お母さんはさっきよりも低い声であのね…と、そして








「ママとパパ、離婚することになったの」









目の前が本当に真っ暗になった。


【離婚】



一番聞きたくなかった言葉を、何の前触れもなく聞かされた。
私は返事も出来ずにいた。



その後、生活費について、誰が私を引き取るかについてお母さんが話していたけれど全く覚えていない。
いつの間にか私の身体からは力が抜け、その場に崩れ落ちた。






それから数日間、私は学校にも行かず部屋に閉じこもった。
もう涙すら出てこなかった。ただベッドの上で膝を抱え死人のように時間を過ごした。








なんでこんなことになってしまったの?


私はこれからも一人になってしまうの?


いやだよ、もう一人にしないでよっ!







残酷にも頭に溢れ返る苦悩の言葉に、私は押しつぶされそうになった。
私はどうすればいいの?生きる意味すらも忘れてしまう。





そんな中、日吉は何度も何度も私を気にかけ、ドア越しながらも声をかけてくれた。






?」




ショックのあまりに声すらも出ない私は彼に返事もせずにただドアを見た。
そんな私の様子を日吉は察したのか、ドアを開けずに私をそっとしてくれる。
ただ、去り際に






「大丈夫だから」






そう一言いうのだ。
枯れたはずの涙が溢れた。一寸先も見えない闇の中に、蛍のように優しい明かりが灯った。



いつから彼のことを好きになったのか覚えてない。
でも、この時、間違いなく日吉は私のナイトだった。





日吉だけじゃなくおばさんなど日吉家の家族の励ましもあって、私はなんとか立ち直った。
自分の今後について散々考えた数日間。









きっとこれからも私の影となり一生付きまとってくる悲しい真実。
だが、堕ちるわけにはいかないから。



明るくふるまおう、どんなことにも負けないように。






これが私の出した結果だった。



がらりと変わった私に、周りは目を見開いた。
もちろん、最初は大変だったけど、今ではもう誰も気にしはしない。







私はあの瞬間から今まで私は自分を演じ、生きてきた。
















それがまさか、大好きな日吉によって演じることを壊されるなんて、私は思っただろうか。


うすうすと私は気づいていた。
優実の日吉を見る目が違う。日吉の優実を見る目が違う。
なんで私ってばこんなことに鋭いんだろう、気づきたくなかった。


だから私は気づいて気づかないふりをしようと思った。
でも隠せとおすほど私の想いは簡単なものではなく、思わず日吉に当たったときもあった。




もうには気づかれている、日吉はそう思ったのか、私に優実との仲を取り持ってくれと頼んだ。
奇跡的にもその同じ日に、優実にも協力してくれ、といわれていた。










何で好きな人が私じゃない違う人とくっつくように手伝わなければならないのだろう?
そう思った。
いっそのこと、お互いにお互いの短所でもさりげなく言ってやろうか。
私はそんな醜い考えをめぐらせていたのだ。





しかし、嬉しそうに若のことを話す優実や、私のことを邪魔者扱いするようになった日吉を見て、
私は二人の仲を引き離すなんて無理なんだと思い知らされる。






日吉君のテニスってカッコイイよね。


今日ね、日吉君と目があったんだ。







アンタ、モテるんだからもっと良い男探した方が良いんじゃない?
あくまで冗談っぽくそう優実に言っても、彼女は完璧な恋する乙女になっていて、全く聞いちゃいない。





日吉は日吉で優実に私と仲良くしてる姿を見られたくないようで学校にいると私を冷たくあしらうのだ。
決して私を嫌ってるわけではないのだ、そうは分かっていても、どうしても彼に嫌われているような錯覚に陥る。
怖くなったのだ、唯一の心の支えであった彼に本当に嫌われてしまったような気がして。













「お父さんとお母さんから手紙が来たんだ」


「…」


「久しぶりの手紙だからビックリしちゃった。
 そんで、読んでみたらさ…、二人、再婚することになったんだって」









結局くっついてしまった日吉と優実をただ陰で泣きながら見守るしかなかった私の元に訪れた一通の手紙。
両親からだった。二人揃って送るなんてめずらしい。そうも思ったが
離婚してからというもの、極端に連絡をくれる回数が減り、久々の便りということなので、
私は何もかもほっぽって、手紙の封を切った。







最近電話もしてあげられなくてごめんなさい。
元気にしてる?








など、決まり文句となった言葉が書かれたあと、





【この度、パパとママはやりなおすことになりました。】






と当たり前のように書いてあった。



喜びのあまり涙が出た、叫び声も出た。
不幸なことばかり続くこのごろにやっとの幸せ。そして何よりも私が待ち望んだこと。
最近泣いてばかりだな、私は笑顔で涙をぬぐい、さらに読み進める。




私は目を見開いた。






【今は二人ともアメリカのニューヨークに落ち着いたので、一緒に住んでいます。】


【だから、ちゃんも一緒に住みませんか?】








正直、全く持って予想していなかった。
二人とも忙しい人間だから、形だけ【やりなおす】と名づけて、結局は別々に暮らし、
そして私もこのまま一人でこの日本に住み続けるのだろう。
そう考えていたからだ。だが私はそれでも構わなかった。
二人が仲良くなってくれた、その事実だけで十分すぎるほど満足なのに。



色々あったけれど、もう日本に十年近く住んでいる。
学校もうまくいっている。(全部が全部ではないけれど)
部活だって、もう跡部先輩達は引退してしまったけれど、今は日吉部長の時代で、
ますます忙しくも、充実した日々を送っている。




断ってしまおうか、そう思った。
また見ず知らずの場所でイチからスタートを切るよりも、安定したこの場所で過ごしたほうが
幸せなはず。










しかし、その次の日、私は学校生活において、ずいぶんつらい思いをしてるのだと改めて知った。


何が辛かったって、日吉と優実の姿を見てるのが辛かった。
イチャイチャ、とまではいかなくても、とてつもないほのぼのオーラが溢れる二人を
私は醜い感情を心の中で沸騰させながら見ているのだ。


日吉の隣、という位置は、私のポジションだったのに。
それがいきなり現れたたった一人の少女に奪われたなんて…。



そんな汚らしい嫉妬を私はもちろんさらけ出すことも出来ず、ずっと心に鍵をかけしまった。
それが何より辛かった。










未練が無い…といえば嘘になる。
本当はもっと友達と遊んでいたかった。
テニス部の皆々様と遊んでもいたかった。まだ忍足先輩のオデコにマジックで「肉」って書いてないし。
向日先輩とUFOキャッチャー対決だってしてないし。




でも、いつかこの醜い感情を爆発させてしまったら、それらすらもできなくなってしまう。
それならいっそ、まだ自分を何とか綺麗に演じきれてる間に清く消えてしまおうか。





そう考えるようになったのだ。











「まだ決まってないんだけどねぇ…」


「…」


「でも、お母さん達と一緒に暮らせるの、すっごい久しぶりだし。
 そうしようかなって思ってる」



「…そうか。お前が何よりも望んでることだもんな」





「!」






「良かったじゃないか。俺は、その方が良いと思うぞ」








日吉は私のことを案じてそう言ってくれたのかもしれない。
だけど私には、お前がいなくなってほしい、と聞けた。そんなはず無いのに。





私は本当にどうにかしてしまったようだ。



本当は、いかないでくれ、と止めてほしかったらしい。









「うん、そうだよね。…ありがとう」









私はその時やっと、日本を離れようと決意できた。























090401